歴史上の人物は墓にちゃんと埋葬されてるの? | なんJ 2ch 5ch まとめ

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歴史上の人物は墓にちゃんと埋葬されてるの?

歴史上の人物の墓をちゃんと調査したらちゃんと本人の遺骨が残ってるのかしら?
年代が古い人物の墓とか怪しそう

墓が複数ある人物もいるし

徳川の将軍の墓は調査済み
本に秀忠の頭蓋骨の写真までのってた

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増上寺ね

徳川の歴代将軍や側室などの墓があるよね。行ってみたいけど、見れるもんなの?
芝増上寺と上野寛永寺だよね?

家継の埋葬された増上寺で徳川将軍家の墓地が改装された際にこれに立ち会い、被葬者の遺骨の調査を行った鈴木尚の著書『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』によれば、家継の棺を開けた時、長年の雨水が棺の中に入り込み、家継の遺骨は存在せず、ただ家継のものと思われる遺髪と爪、及び刀等の遺品があったのみであったという。
また、鈴木が編纂した、『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』によれば、家継の血液型は母・月光院と同様にA型であった。

墓地改葬の際に、和宮の墓の中から家茂の肖像写真が発見された。
これまで家茂は義兄の孝明天皇に倣い写真は撮影していなかったとされていた。
死の直前に大阪で撮影されたものと推定され、江戸にいる和宮に贈ったものなのだろう。
発見の翌日に再度、写真を検証しようとすると画像は失われており、そこにはガラス板があるのみだった。

家茂の写真見たい(‘A`)

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家茂の頭蓋骨からの顔復元図を載せているサイトはあるよ。

ハンサムだったらしいね。
遺骨からも肖像画からも、鼻の高かったことが分かる。

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あの肖像画の画法が気になるw
鼻の高さ、少し漫画っぽくないかな・・・?

私も鈴木先生の本読みました。発掘後、遺骨は全て荼毘に付されたと書いてありましたが、副装品はどうなったのか気になったのですが、本にも書いてないし、調べても全然解りませんでした。
誰か解る方がいたら教えて下さい。

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発掘記録の資料集はないかと増上寺に聞いてみたことがあるけど、寺としては無いけど港区がまとめたものがあるはずです・・・と言われた。
もしそうなら、港区立の各図書館には確実に置いてあると思う。
今度確認してみます・・・

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地元の図書館に行って増上寺に関する発掘調査報告書を二冊見たのですが、将軍家墓所に関係する物でなく、一般墓地の物と後は何かの遺構の物でした。
と、いうことでこちらにはありませんでした。

この前高野山に行った・・・
骨が入ってるか入ってないかとは別に、ありとあらゆる戦国大名の墓があるのに感動した。

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高野山は宗派関係なしの「天下の総菩提所」だから。

高野山にはいろいろ歴史上の有名人(近代、現代も含めて)の墓があるが骨があるとは思えないな。他にも墓ありそう。

中岡と坂本の墓は、調査された事はあるのだろうか?
骨から身長を割り出したり、死因を特定しても良さそうなものだが・・・

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石田三成の墓は調査したのに、なぜ龍馬や慎太郎の墓は調査されないんだろうね・・・

お墓を調査したらも遺骨が入ってないお墓ばかりだったりして

供養墓もあれば分骨墓もあり歯や髪だけをいれた墓もある。
火葬も土葬もある。
いろいろだろ。

藤原氏の墓ってあるの?

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藤原氏は山ほどいますが、とりあえず『本朝文粋』巻13、『栄花物語』巻5や15、『大鏡』巻下、『御堂関白記』をどうぞ。
現在の状態のことであれば、小高い塚ぐらいは確認出来ます。

そういえば昭和天皇の墓があるって聞かないなあ。埋葬したのかな?

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玉子陵

八瀬の人々が棺を運び、陵墓の穴にクレーンで収められたということですね。
棺が何重にもなっていて非常に重く、今の若い人は重いものを運ぶことに慣れていないから無理であったろうとは、当時参加した年配者の弁。
おそらく、今上の御葬送は同じようにはいくまいということでした。
日常的に荷物を背負って移動していないから、体力が足りない。
八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)は山城国愛宕郡小野郷八瀬庄[1](現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。室町時代以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。
伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼の子孫とされる。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆる大童であり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれた。

八瀬童子は人口減少で集めるのに苦労したと昭和天皇の大葬の礼のとき報道されてた。
次回は、もう無理なんじゃない。町会長が代表者として立ち会うぐらいだろう。

オホサザキの天皇の墓出土とされる遺物がボストン美術館に展示されていると伺いましたが・・・泥棒さんすごいですね!鏡と刀の一部らしいんですがみてみたいなー

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昔々の盗掘って凄まじかったというよね・・・

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昔々じゃないだろ。
大仙陵盗掘は明治のことだ。

聖徳太子の墓ってどこにあるの?

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宮内庁の比定では、大阪府太子町の叡福寺
ただし、例によって異論もある。
小ぶりな円墳状で、そのすぐ周りまで近づくことができます。

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その墓は発掘されてるね。
今は宮内庁比定陵墓で近づくことができないが、比定される以前に、調査が入ったことがあって、石棺が確認されているそうだ。

墓は分骨や遺髪だけを入れたのも含めると膨大な数になる。
犬山城主の成瀬家(尾張藩付家老で江戸期は陪臣)でも450ヵ所の墓所を整理したそうだ。

両墓制ってのがあるよな。埋め墓と拝み墓が別のところにあるってやつ。
当然、有名人の墓にもそういうケースはあったんだろうけど、近代以降の都市部ではそういうこともなくなってるんだろうか。

軍事板ではヒーローである 大阪府野崎観音に有る、辻正信の墓に行って来た
骨は当然無いが、かなり小さかった記憶がある

そう考えると藤原三代のミイラはよく残ってましたね
ミイラ見たいんだけど、見るチャンスは訪れないだろうか…

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今から30年ほど前の話だけど、当時中尊寺に行ったときに、昭和25年の藤原氏三代のミイラ&泰衡の首の学術調査の際に撮影した記録映画を見た覚えがあるよ。
モノクロの映画だったけどね。
中尊寺のホームページ見たけど、さすがにもう上映してないみたい。

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それはかなり貴重な体験をしましたね
羨ましいです
ミイラの状態はよくテレビで観るミイラと同じような感じでしたか?
日本と海外ではミイラの作り方も違うかもしれませんから、多少違った感じのミイラになるんですかね

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さすがに30年前の記憶と当時小学生だったので、詳しくは難しいですが、ミイラの状態は、今考えると、91年にアルプスで発見された「アイスマン」に似た感じだったと思います。
少なくとも死蝋やインカの高地のミイラのような眠るが如しといった状態ではなかったと記憶しています。
モノクロの映画フィルムなので、当然色あいとかはわかりませんが、黒っぽかった記憶があります。
(白黒のコントラストの差もあるかもしれませんが。)
自然ミイラか人工ミイラかは、現在でも結論がでていないそうですが、

↑こちらのサイト主の方は90年代後半に中尊寺に行かれたようで、15分ほどの短編映画を見たとのことですので、おそらく私と同じ映画を見たはずです。
なかなか思い出せず、お役に立てそうもありません。どうもすみませんでした。

宗教者の即身仏のミイラって、少し昔なら公開されてたような気がするけど?

京都府京田辺市に有る一休寺には、あの一休さんのミイラも有るらしいが宮内庁管轄な為、廟の中に入ることも出来ない

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一休のミイラってあるの?

一休寺には一休が死ぬ間際に弟子に作らせ、自分の髭と髪の毛を抜いてつけさせた木造がある(これのこと?)
しかし、一休寺ホームページにもミイラのことは一言も出ていない。

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ありがとうございます
僕は京田辺市に住んでいるんですが、昔の京田辺市の駅舎の待合室に有った雑誌の切り抜きに、一休さんのミイラ化した遺体の話が載ってました。
しかし大正時代のものと思われるその駅舎も数年前取り壊され、その雑誌の切り抜きも無くなってしまいました

一休さんのミイラ、昔は一休寺で公開してたんだってね
でも今はやってない
なんかいかがわしいものだったのかも

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一休は諸説色々あるにせよ、宮内庁が皇族と認めてそう扱っているんだからその遺体を公開するってことはないだろう。
一休の墓は一休寺内にあるが墓域は宮内庁の管轄だから寺側が勝手に墓から遺体を出したり扱ったりはできない。

石田三成の首の骨は確か首塚から発見されて、京大かどっかで復元作業まで行われてたよなあ
凄い美形だったらしい

>411
明治40年に東京帝国大学の教授が、大徳寺三玄院にある三成の墓から遺骨と思しき頭蓋骨を発掘。
「優男の骨格・頭形は木槌型・反っ歯・没年41歳相当・身長156センチ」。
現在、この頭蓋骨をもとにした石膏復元肖像像が、大阪城天守閣に保管されている。

何で古墳って作られなくなったの?
有力な戦国大名や将軍なら作ってもおかしくないと思うんだけど

大改の薄葬令と仏教が広まったから

墓荒らしはいたけど、遺骨を盗む奴っていたのかな?
有名な歴史上の人物の遺骨なら盗まれそうな気がするけど…

骨なんか何の金にもならないから盗まない
○○の骨だ!といえば高い金で買ってくれる人がいるとでも?

天皇陵で盗掘されてるところってなかったっけ?

>425
>盗掘されている天皇陵
たくさんありすぎる。
有名どころでは天武・持統合葬陵とか。
鎌倉時代に盗掘され、盗掘具合を見るために中へ入って調べた見聞録が残っている。
勿論、現在は宮内庁管理で中へは入れない。

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遺骨や骨壺の残ってる天皇陵って明治以前のものではあるのかな?

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天武・持統陵では鎌倉時代の史料に骨壷が収められていることが記されてあるよね。
明治以降、天皇陵は宮内庁管理下で非公開とされ、すべて柵で覆われているから、
現在遺骨や骨壷が残っているかは調べられないよね。
だけど、宮内庁比定を外れていれば見ることが出来るものも有る。
飛鳥村の植山古墳は推古天皇が太子町の推古天皇陵に移される前、竹田皇子とともに合葬されていたものとも言われ、骨はないが石棺が残っている。

木曾義仲はちゃんと埋葬されてるのかな。
隣が本人のたっての希望で、松尾芭蕉なんだろ。

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